H16.5.20 千葉地裁
損害賠償請求事件
平成16年5月20日判決言渡
平成13年(ワ)第247号 損害賠償請求事件
判 決
当事者の表示 省略
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第1 当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨
(1)被告は,原告に対し,金550万円及びこれに対する平成12年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。
(3)仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第2 当事者の主張
1 請求原因
(1)当事者
ア 原告
原告は,平成10年4月1日当時教諭職の地位にあり,同日,A市立B小学校附属幼稚園(以下「B幼稚園」という。)の主任に任命され,平成12年3月31日までB幼稚園に勤務していた者である。
イ 被告
被告は,B幼稚園を設置する地方公共団体である。原告のB幼稚園在職中,C(以下「C園長」という。)がB幼稚園の園長を務めていた。
(2)C園長の原告に対する職務命令
C園長は,平成11年6月5日,原告に対し,職務命令(地方公務員法32条)として,21世紀の幼児教育について研究すること,上記研究は,以前,被告の施設「ことばの相談室」の一部として使用されていたB幼稚園の空き部屋(以下「本件空き部屋」という。)で副園長と一緒に行うことを指示するとともに,職員室には出勤簿への捺印,研究に必要なコピー,印刷,電話の使用時及び副園長からの指示がある場合以外は立ち入らず,トイレヘの行き来は使用時のみとすること,主任としての仕事は全て副園長がするので原告はしないこと,園児及び保護者には直接接しないこと等の禁止事項を口頭で言い渡した。
(3)被告の責任
ア C園長の原告に対する職務命令に至る経緯
(ア)原告の赴任前後のB幼稚園の状況
B幼稚園では,平成10年9月ころ以降,園児に対する数多くの体罰等の不適切な指導があった。また、勤務中の長時間の無断外出・雑談・不正出張・園児の給食の流用等の教師の倫理観の乱れ・服務規律違反やA市に対する公金の架空請求・保護者からのむやみな費用徴収・出入業者との癒着・不正納品等の園のずさんな運営があった。
(イ)原告は,B幼稚園全体の職務と教諭を監督する立場にあるC園長の権限と指導力によるB幼稚園の改善を期待し,B幼稚園への赴任以降,上記各事件を知るたびに,C園長に対し,再三にわたりB幼稚園の上記実情を訴えて改善を求めたが,C園長は,当初は多少耳を傾けたものの,次第に消極姿勢を露骨に示し,園長としてとるべき事実調査,改善のための職務命令の発動,A市教育委員会(以下「教育委員会」という。)への報告と改善のための助力・措置要求などをせず,何らの措置も講じないままこれを無視ないし放置し,原告が、平成10年9月に,上記実情を教育委員会に訴えようとするとこれを抑制しようとした。
原告は,平成11年1月に教育委員会総務課長に対し,B幼稚園の保育の実態と教諭の不正を説明したが,これによっても何らの変化もなかった。
(ウ)そこで,原告は,平成11年3月,当時A市議会議員であったD(以下「D議員」という。)及びE(以下「E議員」という。)に,体罰等の不適切な指導,空出張等の不正,文部省指導要領の不遵守等について報告,相談し,同議員らの働きかけの結果,教育委員会により,体罰等に関する調査がされた。
また,E議員は,平成11年6月ころ,B幼稚園のF教諭(以下「F教諭」という。)及びG教諭(以下G教諭」という。)を業務上横領,私文書偽造の嫌疑でH地方検察庁A支部に告発した。
イ 被告の責任
(ア)C園長は,以下の各点において,正当な職務命令としての範囲を逸脱し,重大かつ明白な瑕疵がある無効な前記職務命令により,原告に本件空き部屋において勤務することを余儀なくさせこれによって原告に対し,後記損害を与えた。当時,本件空き部屋は,平成9年度末で閉鎖され,その後は倉庫として使用されていた言語障害や言葉の後れを持つ幼児を検査,治療するA市の施設であり,平成10年5月ころには空調設備が取り外され,机,椅子もない座敷牢を彷彿とさせる屈辱的な環境であった。
a C園長は,E議員が行ったH地方検察庁A支部への告発が,原告によってされたものであると速断,誤解しており,告発した者と告発された者が同じ職員室にいることはよくないとの理由で発せられた上記職務命令は,職務命令としての形式的妥当性を欠く。
b C園長は,原告が教育委員会に直訴したこと及びE議員から告発されたこと等により園内の不祥事が公になったことに激怒し,これに対する報復措置として,原告に対する個人的ないじめとして制裁を加え,原告の自尊心を傷つけ,原告を本件空き部屋に隔離し,園児,保護者,同僚教諭との接触による一切の関係,情報入手を断ち,原告を孤立させ,自発的な退職に追い込むことの意図をもって上記職務命令を発した。
c C園長が発した上記職務命令は,A市が遵守の意向を明言している国家公務員倫理規程12条4項にも反する。
d 上記職務命令は,教育委員会の辞令を変更して,教諭であり主任である原告の地位と職務を法定の処分手続を経ずに実質的に剥奪する越権行為である。
e C園長は,不正を行った教諭に対してではなく,その不正を糺し,B幼稚園を改善しようとしている原告に対して上記職務命令を発しており,命令を発する対象者の選択を誤っている。
f 本件では,教諭間に対立が生じているとはいえ,暴力行為等の異常事態が生ずるおそれがあるなどのやむを得ない事情はなく,両者を同じ職員室で執務させても支障はないから,原告に事情を説明して訓諭すれば足り,部屋を分ける必要はなかったのであるから,上記職務命令は合理的理由がない。
(イ)C園長は,B幼稚園の園長であり,被告の公権力の行使に当たり上記違法,無効な職務命令により原告に後記損害を与えたのであるから,被告は,国家賠償法1条1項に基づき,原告が被った後記損害を賠償する責任を負う。
(4)損害
ア 原告は,C園長の前記職務命令によって,本件空き部屋での勤務を余儀なくされ,これによって,平成11年6月9日には血尿,耳鳴り等の症状が出て,同月10日午後から同月30日までは年次休暇及び病気休暇を取らなければならないほどの精神的打撃を受け,一時は自殺を考えるほどの精神的窮地に陥り,同月12日からは急性胃炎のため病院に通院した。
さらに,原告は,同年7月1日に職場に復帰後も外部との接触を断たれ,園児や保護者からもよそよそしくされたため,園児や保護者と暖かく触れ合う実践行為としての幼児教育を目指していたこともあって,孤独に陥り,自尊心を傷つけられ,教育者としての生き甲斐を奪われるなどの精神的苦痛を継続的に被った。また,職務命令である職員室への立入制限等に逆らうと処分の可能性があったため,原告は心理的に拘束され,職員室への入室は禁止同然であった。
原告が受けたこれらの精神的,身体的苦痛を慰謝する金額は500万円を下らない。
イ 原告は,原告の受けた上記損害を回復するための本訴提起に当たり,その訴訟追行を原告代理人に依頼し,その報酬として,委任契約の目的額の1割である50万円を支払う旨約した。
(5)よって,原告は,被告に対し,国家賠償法に基づき,550万円及びこれに対する不法行為の日以後の日である平成12年4月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(1)請求原因(1)の事実は認める。
(2)請求原因(2)の事実のうち,C園長が,平成11年6月5日,原告に対し,職務命令として,21世紀の幼児教育について研究するよう口頭で指示したことは認め,その余は否認する。
(3)ア(ア)請求原因(3)ア(ア)の事実のうち,平成10年9月ころ以降,B幼稚園において園児に対する体罰が数回あったことは認める。その余の事実は否認する。
C園長は,原告から体罰に係る事実を告げられた時点で既に教諭と園児の保護者との間で話合いがもたれ,当事者の間では了解済みのものもあった。C園長は,各事件について事実確認の上,当該教諭に指導,注意をし,園児の保護者との間で話合いがなされていなかったものについては話し合って了解を得た。
(イ)同(イ)の事実は不知又は否認する。
(ウ)同(ウ)の事実のうち,原告が,D議員及びE議員に相談したこと,教育委員会による調査がされたことは認め,その余は不知又は否認する。
イ 請求原因(3)イ(ア)及び(イ)はいずれも争う。
F,G両教諭は,原告から様々な攻撃を受け、告発までされたために精神的に動揺し,C園長に対し,「自信を失ったので学級担任を辞めたい。」と申し出るまでになった。そこで,C園長は,教育委員会と協議の結果,自らは平成11年度の学級担任を拒否しながら同僚教諭の批判を続ける原告の立場を考慮しながら,園児の教育を中断させないためのやむを得ない措置として,原告と両教諭との事務重複を避け,執務室を別にすることとし,平成11年6月5日,原告に対して以下のとおり事務分担の変更を指示し,原告から「分かりました。」との回答を得た。
(ア)変更理由
原告の一連の問題の指摘により園児,保護者,地域住民等が不安,動揺している。告発人の証人となるべき者と被告発者の間の溝が深く,その関係が園児の教育に影響を及ぼしてはならない。
(イ)事務内容
これからの幼児教育のあり方(現在の教育界の動向,21世紀に向けての幼児教育のあり方)についての研究。従来原告が担任していた園務は副園長が担当する。
(ウ)執務場所
本件空き部屋。職員室への出入りは禁止していない。
(4)ア 請求原因(4)アのうち,本件空き部屋に園児だけで出入りしないよう指導したこと及び原告が,平成11年6月30日まで年次休暇及び病気休暇を取ったこと,同年7月1日から平成12年3月末までの間,勤務規定に従い出勤して本件空き部屋で勤務したことは認め,その余は不知又は否認する。なお,園児への上記指導は従来から行っていたものであり,原告の存在とは無関係である。
イ 同イは不知。
理 由
第1 請求原因(1)の事実は,当事者間に争いがない。
第2 請求原因(2)の事実(C園長の職務命令の内容)について
1 請求原因(2)の事実のうち,C園長が,平成11年6月5日,原告に対し,職務命令として,21世紀の幼児教育について研究するよう口頭で指示したことは当事者間に争いがなく,証拠(甲21,25ないし27,31,36,37の(1)及び(2),38の(1)ないし(4),乙5,証人C(以下「証人C」という。),原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,C園長が,同日,原告に対し,上記内容とともに,上記研究は本件空き部屋で行うことを指示した上、従来原告が担当していた園務は副園長が担当すると述べたことが認められる。
2 ところで,原告は,C園長が原告に対し,上記命令の際,職員室には出勤簿への捺印,研究に必要なコピー,印刷,電話の使用時及び副園長からの指示がある場合以外は立ち入らず,トイレヘの行き来は使用時のみとすること,園児及び保護者には直接接しないこと等の禁止事項を口頭で言い渡したと主張し,その作成に係る陳述書(甲35及び36)及び本人尋問において,上記主張に沿う記載及び供述をする。
しかし,職員室への出入禁止についてみると,原告の陳述書(甲36)には,「出勤簿を押したり,電話したりする時は職員室に入ってもいいですよ。研究に必要なコピーや印刷機は職員室のを使ってください。出勤簿は職員室で月曜日からお願いします。」との記載部分があり,原告は,本人尋問において,同旨の供述をするが,これらの記載及び供述によっても,C園長が職員室に入ってはいけないと具体的に発言したとは認められない上,原告は,本人尋問において,原告がC園長から「研究に必要なコピーとか印刷機は職員室のを使っていいですよ,それから,電話とか出勤簿は職員室で押しなさい。」と言われ,この発言を上記以外の場合は職員室への立入りを禁止しているのと同じであると受け止めた旨供述する。そして,C園長の作成に係る陳述書(乙5)及び証言には,原告が「職員室へ入ってはいけないのですか。」と質問したのに対し,「トイレに行く時もあるでしょうし,電話やコピーを使うこともあるでしょう。自由に出入りして良いのは当然でしょう。」と説明したとの職務命令を発した際に職員室の出入りにも言及した旨の記載及び証言部分がある。そうすると,C園長の発言の趣旨を原告がどのように理解したかはさておき,C園長が同日,職員室への出入りを禁止する職務命令を発したと認めることはできない。
また,原告は,本人尋問において,出勤簿の捺印のため職員室に入ろうとしたところ,鍵がかかっていたことがあったと供述し,陳述書(甲36)及び本人尋問において,担任教諭が,園児に対して,ベランダの横を通らないように注意して暗に原告と接触しないよう指導したことにより,原告が,本件空き部屋以外の場所には必要以外には出入りを禁じられ,園児及びその保護者との自然な接触ができなくなったとの記載及び供述をする。
しかし,職員室の施錠についても,少なくとも出勤簿の捺印等のための出入が禁止されていない以上,これが原告の入室禁止を示すものであるとの原告の供述は独自の思い込みに基づくものというほかない。もっとも,証拠(証人C)及び弁論の全趣旨によれば,教諭が,園児に対して,ベランダの横の通行を禁止する指導をしたことがあることは認められるが,園児・保護者との接触禁止についても,C園長が,原告に対し,接触を禁ずる発言をしたことは認められず,C園長の陳述書(乙5)中には,幼稚園にいる以上,外部の人と交流があるのは当然のことであり,園児や保護者との接触を禁止する発言はしていない旨の記載があり,原告の本人尋問ないしその陳述書(甲36)中にも,従来原告が担当していた園務を副園長が担当するとの命令により,原告が,接触を禁じられたと受け止め,その趣旨を確認する発言をしたが,C園長がそれを肯定するような発言はしていない旨の供述及び記載があることをも併せて考慮すれば,上記園児に対する教諭の指導をもって直ちにC園長の職務命令に接触禁止が含まれていたとすることは困難であり,C園長が発した職務命令に,園児・保護者との接触禁止が含まれていたと認めることはできない。
3 よって,同日のC園長の職務命令が,職員室への出入禁止,園児・保護者との接触禁止を含むものであったとの原告の主張は理由がない(以下,C園長が同日発した上記1の各事項を内容とする職務命令を「本件職務命令」という。)。
第3 請求原因(3)(被告の責任)について
1 事実関係について
請求原因(3)ア(ア)の事実のうち,平成10年9月ころ以降,B幼稚園において園児に対する体罰が数回あったこと,同(ウ)の事実のうち,原告が,D議員及びE議員に相談したこと,教育委員会による調査がされたことは当事者間に争いがなく,この事実と証拠(甲1,3ないし21,25ないし27,29,30ないし36,37(1),38(1),39,41,42及び46,乙1ないし5,証人C,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)原告は,平成10年4月1日,B幼稚園に赴任した(甲1)。C園長も同日,A市立B小学校(以下「B小学校」という。)校長兼B幼稚園園長として赴任した。
(2)原告は,着任してから,F教諭とG教諭の執務態度及び会話内容から,勤務中の長時間の無断外出や雑談がなされ服務規律が乱れており,時間外手当の不正請求がなされていると考え,同月10日,C園長にその旨報告した。また,原告は,平成9年度の幼稚園日誌にH大学での研修会に関する記載があるところ,同研修会に原告が参加していたが,B幼稚園の他の教諭が参加した記憶がなかったことから空出張があったと判断し,同月終わりころ,C園長にその旨の報告をした。その後も,原告は,同年6月には幼稚園の給食をPTAの役員等に継続的に提供していることを,同年9月にはF教諭とG教諭が同年8月4日に実施された幼児教育実技セミナーヘ参加するための出張を行っていないことを,同年9月下旬には,運動会当日の朝,男児の母親から練習中ふざけているとG教諭にスカートをはかされたとの苦情を聞き,その旨報告をしたほか,B幼稚園全体の職務と教諭を監督する立場にあるC園長の権限と指導によるB幼稚園の改善を期待し,同月以降も同年12月ころまで,折に触れて,C園長に対し,B幼稚園における改善点等について申入れをし,改善を求めた。原告からの報告に対し,C園長は,それまで幼稚園での勤務経験はなく,またB小学校校長との兼任であったため,幼稚園の様子を理解,把握できるまでには約1年を要すると考えており,原告の上記申入れを性急すぎる改善要求であると受け止めていた。
(3)原告は,C園長が,当初は多少耳を傾けたものの,次第に消極姿勢を露骨に示し,園長としてとるべき事実調査,改善のための職務命令の発動,教育委員会への報告と改善のための助力・措置要求などの何らの措置も講ぜず,放置していると感じたため,平成10年9月,上記実情を教育委員会に訴えようとして,同年10月1日提出の自己評価申告書において,B幼稚園の現状と問題点,次年度人事に関する意見等を記載して教育委員会に今後の方策の検討を求めるとともに,職務の満足度,職務の適性,職場の人間関係について,それぞれ5段階評価で3,2,1と記載した。原告は,このころ,他の教諭との会話が余りなく,主任としての仕事をさせてもらっていないと感じていた。
(4)原告は,平成11年1月4日,教育委員会総務課長に対し,B幼稚園の保育の実態と教諭の不正を説明した。しかし,原告は,C園長が何ら改善しようとする姿勢がないと感じた。
(5)原告は,同年3月6日の生活発表会において,G教諭から園児のピアニカの高音部の音が小さくなるように粘土を詰めたことを聞き,同月8日C園長に報告した。C園長は,F教諭及びG教諭から事情を聴取し,同月16日,同教諭らと共に上記園児の保護者宅を訪問して同園児の母親に謝罪し,その了解を得た。
なお,園児に対する体罰については,他に上記のとおり平成10年9月の運動会の練習中にあった園児にスカートをはかせた事件と平成11年2月に縄跳びの紐でいたずらを繰り返す園児を拘束したという事件があったが,C園長は,原告からの報告を受けてこれらの事件を知り,F教諭及びG教諭に事実関係を確認し、指導教諭に厳重に注意するとともに,園児の保護者との間で話合いが持たれ,園児の保護者の了解を得ていた。もっとも,C園長は,上記措置をとったことについては,原告に報告しなかった。
(6)原告は,C園長が原告の報告によっても何らの対応もしないものと考え,同年3月13日にはD議員に対し,同月19日には同E議員に対し,ファックスにてB幼稚園において体罰等の不適切な指導,空出張等の不正,文部省指導要領の不遵守等の問題が存する旨報告,相談をし,E議員の提案を受けて,同月25日,A市役所内の記者クラブで記者会見を開き,この記者会見には,保護者2名も参加した。E議員は,自らの広報誌に,B幼稚園では体罰,虐待が日常的に行われている旨の記事を掲載するなどした。これにより,園児の保護者が頻繁にB幼稚園に来園したり,教育委員会に抗議が寄せられるようになった。その内容は,原告の言動に抗議するものがほとんどであった。
また,原告は,同月10日ころ,新聞記者に対して,園児の保護者の了解を得ずに電話番号を伝え,当該園児の保護者が取材の電話を受けた。教育委員会は,上記の件で苦情を受けたことから,同月26日,原告,C園長及び副園長を呼び出し,原告から事情を聴取した結果,上記事実が判明した。
C園長は,これを知って,原告に対し,職務上知り得た園児についての情報を漏洩してはならないと注意した。
(7)教育委員会では,同年3月下旬,原告に対し,B幼稚園における不適切な指導,教師の倫理観の乱れ・服務規律違反及び園のずさんな運営等に関する問題提起事項を記載し,当該事実の有無等について回答を求める「整理表」を交付するなどして,園児に対する不適切な指導及び空出張等に関する調査を開始し,同年4月,C園長立会いのもとで,原告,F教諭及びG教諭の事情聴取を行った。その結果,体罰に関しては上記3件以外は原告の伝聞にすぎず,事実の確認がなされていないことが判明した。また,F教諭及びG教諭は,園児たちを励ましたり褒めるために行った行為や言葉を原告が一方的に悪いことと捉えていることが残念であり,もっと常識的なものの見方をして欲しいと訴えた。
(8)C園長は,平成11年度の学級編成について,従来の2学級から3学級制にするとの独自の構想のもと,同年3月下旬ころ,原告に対し,平成11年度は学級を担任して欲しいと打診したが,原告は,これを断った。
(9)原告は,平成11年4月下旬ころ,市立幼稚園関係者のOB会の席上で,市議会議員宛の文書を示して,原告が認識しているB幼稚園の問題点を訴えたが,この言動はかえって出席者のひんしゅくを買った。
(10)E議員は,同年5月26日,F,G両教諭を業務上横領,私文書偽造の嫌疑でH地方検察庁A支部に告発し,その告発状の写しを教育委員会に送付した。この告発状には原告が被疑事実についての証人となる用意があることが明記されていた。
F,G両教諭は,従前原告から批判を受けていたことに加え,上記告発により精神的に動揺し,C園長に対し,学級担任を辞めたいと申し出た。
C園長は,原告が学級担任になることを拒否しており,園児の教育を続けるためには,F,G両教諭に学級担任を続けてもらうしかなく,原告と両教諭の感情的な溝が深く,職員間の人間関係の維持等のためには,原告と両教諭との事務重複を避けて執務室を別にする必要があると考え,教育委員会と協議の結果,園児の教育を含む園務への支障を最小限にし,園児,保護者,地域住民等の不安,混乱を払拭する観点から,F,G両教諭の学級担任継続と原告の研究専念の措置をとることとし,同年6月5日,本件職務命令を発した。
(11)教育委員会は,同年6月14日,F,G両教諭に対して口頭の厳重注意処分をするとともに監督者であるC園長に対して口頭訓告処分をなし,原告が新聞記者に対して園児の電話番号を伝えた件について,原告に対する処分を行う意向を固めた。
(12)原告は,同年6月22日,C園長に対し,口頭での発令による解釈の誤解を避けるため等の理由で,本件職務命令の内容を1週間以内に文書にするよう求める書面を送付した。しかし,C園長は,これに回答しなかった。
原告は,同年7月1日,C園長との話合いの際,C園長に対し,原告に対して発せられた職務命令の内容を,職員室の出入禁止,園児・保護者との接触禁止を含むものとして確認し,誤りがある場合には加除訂正をするように求める書面を交付するとともに,同月2日,再度,文書での発令を求める書面を送付した。しかし,C園長は,これらのいずれに対しても回答しなかった。
2 被告の責任(請求原因(3)イ)についての判断
(1)学校教育法81条3項は,「園長は,園務をつかさどり,所属職員を監督する。」と規定しており,これによれば,園長は,園務掌理者としてすべての園務につき原則として自由な裁量による決定権を有し,上記権限に基づき,教頭・教諭その他の職員に園務を分掌させ,職務命令等によって指揮監督する権限を有するものと解される。
もっとも,その裁量は無制約なものではなく,合理的と認められる範囲のものでなければならないことはいうまでもない。そして,不合理な職務命令は,無効ないし不法行為における違法の評価を受けるものというべきであるが,上記規定の趣旨に照らせば,当該職務命令が社会通念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合でない限りその裁量権の範囲内にあるものとして違法,無効とはならないというべきである。以下,本件職務命令の効力ないし違法性について検討する。
(2)原告の主張に対する判断
ア 原告は,C園長は,E議員が行ったH地方検察庁A支部への告発が,原告によってされたものであると速断,誤解しており,告発した者と告発された者が同じ職員室にいることはよくないとの理由で発せられた上記職務命令は,職務命令としての形式的妥当性を欠くと主張する。そして,証拠(甲36,証人C,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,C園長は,本件職務命令の発令にあたり,原告に対し,本件職務命令の理由について,「告発した人間と告発された人間が同じ職員室にいることはよくない。」旨説明したことが認められる。
しかし,C園長が本件職務命令を発した理由は前記1で認定したとおり,F,G両教諭に引き続き学級担任の職務を行わせるとともに原告とF,G両教諭の感情的な溝が深く,職員間の人間関係の維持等のためには,原告と両教諭との事務重複を避けて執務室を別にする必要があったことにあり,原告が主張する上記理由に基づくものではないから,C園長の原告に対する上記説明の趣旨が正確にされたかどうかはさておき,原告の上記主張には理由がない。
イ 原告は,C園長は原告が教育委員会に直訴したこと及びE議員から告発されたこと等により園内の不祥事が公になったことに激怒し,これに対する報復措置として,原告に対する個人的ないじめとして制裁を加え,原告の自尊心を傷つけ,原告を本件空き部屋に隔離し,園児,保護者,同僚教諭との接触による一切の関係,情報入手を断ち,原告を孤立させ,自発的な退職に追い込む意図をもって上記職務命令を発したと主張する。
しかし,本件職務命令の動機,目的については上記アで説示したとおりであり,これ以上に,本件職務命令が,私的制裁目的であったと認めるに足りる的確な証拠はないから,原告の上記主張には理由がない。
ウ 原告は,本件職務命令はA市が遵守の意向を明言している国家公務員倫理規程12条4項にも反すると主張する。
ところで,同項は,「職員が法又は法に基づく命令に違反する行為について倫理監督官その他の適切な機関に通知をしたことを理由として,不利益な取扱いを受けないよう配慮すること」と規定しているが,本件職務命令の動機,目的等については,前記説示したとおりであり,原告が倫理監督官その他の適切な機関に通知をしたことを理由に行われているものではないことに照らせば,原告の上記主張はその前提を欠き失当である。
エ 原告は,本件職務命令は教育委員会の辞令を変更して,教諭であり主任である原告の地位と職務を法定の処分手続を経ずに実質的に剥奪する越権行為であると主張する。そして,本件職務命令によって,C園長が,原告に対し,従来,原告が担当していた園務は副園長が担当すると述べたことは前記第2で認定したのとおりである。
しかし,本件全証拠によっても,従来原告が担当していた園務が,教育委員会により任ぜられた主任の地位に基づく職務であったことは認められず,かえって,証拠(甲20,40,乙1,2,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,原告の他,F教諭も主任であり,平成10年4月以降,B幼稚園は主任が2人の状態であったこと,原告は,園務分掌として行事計画,庶務,渉外等を担当していたことが認められる。そうすると,園務分掌が園務をつかさどり,所属職員を監督する園長の権限に含まれるものであり,本件職務命令に基づく21世紀の幼児教育についての研究が園務に含まれないと解することもできない以上,本件職務命令による担当する園務の変更を命ずる本件職務命令は,教育委員会の辞令を変更するものとはいえない。
オ 原告は,C園長は,不正を行った教諭に対してではなく,その不正を糺し,B幼稚園を改善しようとしている原告に対して上記職務命令を発しており,命令を発する対象者の選択を誤っていると主張する。
しかし,本件職務命令の動機,目的等については,前記説示したとおりであり,仮に原告主張のとおり,F,G両教諭に対して本件職務命令を発令した場合には,原告が学級担任の職務を行うことを拒否しているとの前記認定事実を併せ考えれば,B幼稚園における園児の教育を行うことが不可能になるのであるから,原告に対し本件職務命令を発令したことが命令を発する対象者の選択を誤った違法なものとはいえない。
カ 原告は,本件では,教諭間に対立が生じているとはいえ,暴力行為等の異常事態が生ずるおそれがあるなどのやむを得ない事情はなく,両者を同じ職員室で執務させても支障はないから,原告に事情を説明して訓諭すれば足り,部屋を分ける必要はなかったのであるから,上記職務命令は合理的理由がないと主張する。そして,原告は,本人尋問において,同年6月5日まで両教諭と平常どおり話をしていたから同じ職員室での執務に支障はなかったと上記主張に沿う供述をする。
しかし,上記認定の本件職務命令発令までの経緯によれば,原告が、平成10年10月に,自己評価申告書において,職場の人間関係について,5段階評価で1と記載していること,その後,原告がF,G両教諭への批判を続け,C園長,教育委員会に止まらず,各所でこれを公にするなど,行き過ぎとも思われる批判を続けたことによって地域に不信と反感を招き,さらには両教諭に対する告発に当たり証人となる意思を表明したことによって,両教諭が原告に対し不信と反感の念を強く抱くに至ったことが認められ,これらのことからすると,原告と両教諭の関係は平穏なものとはいい難く,原告の上記供述は客観性がなく採用できない。
そうすると,C園長が原告と両教諭とを従来どおり同じ執務室で勤務させたのでは園務の運営上看過し得ない支障が生ずると判断したことを直ちに非難することはできない。
(3)以上のとおり,本件職務命令が違法であるとする原告の主張は,いずれも理由がなく,前記のとおり,本件職務命令が,園児・保護者との接触禁止を含むものと認めることはできないことからすれば,C園長において,本件職務命令の動機や目的等に関し,原告の理解が得られるよう説明に工夫の余地があったとはいえるとしても,C園長の発令した本件職務命令が社会通念上著しく妥当を欠き,裁量権を付与した目的を逸脱又は濫用した違法,無効なものと認めることはできない。
(4)そうだとすれば,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。
第4 結語
よって,原告の本請求は理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
千葉地方裁判所民事第5部